2020年11月28日

フィリピンBLドラマ「Gaya Sa Pelikula (Like In The Movies)」その2

30分のドラマなのに、毎回映画見てるくらいの気持ちでいた作品。
ストーリー展開だけじゃなく、場面場面で流れる音楽までもがぴったりはまってた。
それを8回、最後の数話はもう心掴まれすぎて、うまく切り離せなくなるくらいの衝撃があった。
誰かを愛する喜びと苦しさもだけど、自分自身に向き合いそれを受け入れる痛みも描かれてて、涙なしには見れなくて、最終話はもう泣きっぱなしだった。
個人的にM/M民でアジアドラマにちょっと興味あるって人には、この「Gaya Sa Pelikura」を一押ししたい。


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8話に日本語字幕ついたらもう一度最初から見直して感想をと思ってましたが、ちょっと今は気持ち的に無理。
だから8話は英語字幕で見てるだけなので、ひょっとして間違ってるかもしれないんですけど感想を書かずにいられなかった。


※完全にネタバレしてます(ネタバレなしはこちら




大学で建築を学ぶKarlが、ふとした偶然でVladと同居生活を送ることになったことから、始まる物語。
見始めは、KarlがVladに感じてるものは、自分はゲイではないのにVladに惹かれている自分に対する戸惑いなのかと思ってた。
自分の人生を自分自身で自由に堂々と歩んでいるVladに対する純粋な憧れからくるものもあって。
このドラマの中で、踊ってるシーンが何度も出てくるのだけど、彼らにとってそこはすごく重要で、Karlが初めてVladに出会うところもそうだし、2人の間に何かが通うのを感じた時も。
2人が気持ち確かめあうときもそう。
のちにKarlがVladへの気持ちに戸惑ってるんじゃなく、自分がゲイだって事実を突きつけられたことに対して動揺してるってわかったとき、最初にVladに出会ったあの瞬間、KarlはもうVladから目が離せなくなったんじゃないかと気付いた。
そこからKarlの人生は大きく変わっていったんだと思う。
一方のVladは、Karlに早い段階で恋に落ちてる。
Karlを見るまなざしが、完全に恋する人のそれだし、Karlの嫌いなお皿洗いもきちんとする、友人にKarlの話をするときは表情が優しい。
この2人が恋する感情だけに動かされてる6話は、本当に幸せな気分で見ていられる。
Vladを失いたくない感情だけに突き動かされたKarlが思わず衝動的にキスをするんだけど、本当にそれはまさに勢いって感じで、自分でも今何したんだろうって表情を浮かべる。
でもVladはきちんとKarlを好きだって気持ち自覚してるから、気持ちのこもったキスを返す。
その時のVladの表情は好きだって感情があふれ出してる。
だけど、Karlへの感情をなにひとつ隠さないVladに対して、自分自身を受けいられないKarlが何事もなくいられるわけじゃなく、好きという気持ちだけでは乗り越えられない現実的な問題にぶち当たってしまう。
そこでもがくKarlの姿はすごく苦しい、でもVladの姿を見てても辛い。
2人の目指す方向が違って、でも好きだという感情はなくならい。
なのに”一緒にいない”選択をする。
どちらかが自分の意思に反する選択するをすればもしかして、一緒にいられたのかもとも。
そこで出す選択に正解はないし、どれも間違いじゃない。
それはわかってる、わかってるけど、もっとほかの選択肢はなかったのかと思わずにいられなかったのは、KarlにとってVladはきっと最初の人だから。
こんなふうに、心の底から誰かを好きになったのも、キスをしたのも、全部初めての人。
そんな人を、自分に勇気がなかったせいでという気持ちを抱えながら、こんな風に失ってしまうのは悲しすぎる。
もちろんVladがその決断を簡単に下してるとは思わない。
彼自身いままでの経験則から、このままが良くないってことは十分すぎるほどわかってる。
だからこそこんなにきっぱり決断できる。
Karlを好きだからこそ選んだ選択だったのは今なら分かる。

隣人Annaの存在は、最初見てて、いつものBLドラマにおける女子ポジションだと思ってた。(当然Vladの姉のJuditはM/Mでよく出てくるママポジション)
お隣のカップルの様子を興味本位でのぞいてるだけのにぎやかしの存在くらいに。
でも、彼女は”母”という役を自らの意思で降りてしまった人だった。
子どもを置いて家を出て一人の人間"Anna"として生きていくほうを選択した。
そんなむちゃくちゃな人だけど、その彼女がKarlの最大の理解者であるっていう構図がすごくいい。
何を強要することも変に同情することもない、ただそばにいて味方でいてくれる。
彼女はVladとも友人だけど、Karlを大事にしてるのが言動の端々から感じられる。
最終的に彼女は子どもの元へ戻るのだけど、母というカテゴリに自分を当てはめるんじゃなく、自分の中に母である自分も持つことにしたのかなと。
Karlにはおじさんという最大の理解者もいるんだけど、第三者的立場であるAnnaの存在はきっと心強い。
そして母の部分を受け入れたAnnaは、ちょっとだけKarlとの関係が変わった気がする。
友人であることは変わらないけど、気持ちの踏み込みかたがちょっと違うかなと。

このAnnaが、停電の夜に「クローゼットの中に死体があった」という怪談を始めるんだけど、正直それ必要?なエピソードみたいな感じで見てた。
その怪談話が気になったVladがまずクローゼットを開けて、そこで一枚の写真を見つける。
裏にKarlと書かれた子どもの写真。
その後、Vladと別れることになったKarlが扉を開けて、その写真を見つける。
写真のKarlがKarlじゃなくて、亡くなった"兄のKarl"だったというくだりに、ちょっとどころではなく驚かされる。
死体ではなく、Karlにつきまとう死者の影のようなもの。
Karlは、自分は亡くなった兄の代わりに両親の望む、亡くなった兄が辿ったであろう道を歩き続けてる。
自分の人生なのに、自分が生きてる気持ちがしなくて、どこか満たされない思いをずっと抱えていたと思う。
そこにVladという存在が現れて、今まで以上にKarlは自分自身の進む道へ歩き出したいと思う。
だからゴーストライターのアルバイトはやめて、両親に自分が学びたいことは建築じゃなくて映画だとはっきり言える。
だけど、自分がゲイであることを認めることはどうしても難しい。
そのことで、Vladを失ってしまうかもしれないのに。
Vladは、自分がゲイだから家族はばらばらになってしまったと感じたことがあって、だからこそ自分が同性を好きだってことを隠したくないし負い目にも感じてない。
KarlとVlad、どんなにお互いが好きだとわかっていても、一緒にはいられない。
別れの道を選んだ2人が、酔ったVladのせいで偶然に再会することになって、迎えられなかった別の結末を語り合うシーンがある。
その時、別の道を選んで、じゃあ本当にそうなったのか、それはだれにも分からない。
ただ彼らの思い描いた結末があまりに幸せすぎて、今の状況を受け入れるのがすごく苦しい。
それをVladはKarlが悪いんじゃないって言ってくれる。
あの小さな部屋の中、ほかの誰もいなくて、VladとKarlだけの閉じた世界。
Karlが、このままでいられたらって言うんだけど、そんなことできっこない。
わかっていても口に出さずにいられなかった正直なKarlの気持ちは痛いほど伝わる。
その後外の世界へ歩き出す2人の道はもう一度交わるんじゃないかって、そう信じたくなる結末。

この作品、エンディングの部分が毎回違って、映画を見てる2人という状況は同じなんだけど、2人の気持ちの距離が現れてるような描写で。(6話まで見て初めて気付いた)
当然6話の2人の距離が最高に近い。
7話は空っぽの部屋。
そして8話、並んで座る2人の雰囲気が今までにないものだった。
これは新しい2人の関係がはじまるという解釈しかしたくない。


posted by 棗 at 12:00| Comment(0) | BL(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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